堂々と実務家でありたい
今月はいくつかの研修会等で、自分の考えをお話しさせて頂く機会を得ました。いつも同じスタンスなのですが…決して特別な考えを披露する訳でもなく、どこでも・誰でもやっていそうな「地味なこと」を軸に、提案しています。
例えば、他人が来訪したら無視しないで挨拶のできる職場、人にファイルを見られても困らない職場、担当がいなくても初期対応は誰でもできる職場…実は、わが業界の少なくとも半数がそんな状態であると思います。
(民間での人材育成部門経験を踏まえて…)これがわが業界特有だとは思っていません。どの業界にだって、このような残念職場は沢山あります。他業界と決定的に違うのは、この残念職場の改善があまり話題にならない、ということです。その意味で、地味な取り組みを堂々と人前で話す姿は新鮮なのかもしれません。
目立つ取り組みができるか否かは「配属された職場が何処か」という要素は否定できず、個人の意欲や能力だけで語られることに、少し違和感があります。どの職場にだって、重要なタスクはあり、その改善は、誰にでもできる訳ではなく、それこそ個人の意欲や能力に依存します。やったことの「目立ち具合」ではなく、真の困難度で評価してあげることが大切だと思っています。挨拶のできない職場を改善することは、人前で発表することよりも難しい…現場で苦しんでいる人ならば、共感して頂けると思います。
「私は、堂々と実務家でありたい」というメッセージを、これからも、現場で頑張っている仲間に発信し続けたいと思います。
企画力と言う前に
こじれた案件を漠然と相談に来るスタッフ、文句が先行するスタッフ…「カタチにすることが苦手」という共通点があるように感じています。
こじれた案件については、時系列に・関係者と・主観と客観の区別をつけて、メモにしてから相談に来なさい。緊急なら、それが頭に思い描けるように説明しなさい。
漠然と不満があるのなら、コトの経緯と、関係者と、改善案くらいは、メモにして振りかえってみたらどうだろう。
普段、前年度の資料をいじる程度の方法でしか仕事をしない(させないと)と、白紙から自分の考えを表現できるようなスタッフは成長しません。上司がこのタイプだと、スタッフはもっと厄介になります。
私は、カンタンなことでも、カタチにするように仕事を振っています。異動したてのスタッフは、これが苦手なタイプが多いので、半分書いてから任せる、など、離乳食のような段階でステップアップして、慣れてもらいます。表の作り方など、スタッフそれぞれの個性が出てくると、よしよし、と。
担当業務をカタチにすることは、いわゆる妄想をカタチにすることよりも、はるかに難易度は高く、ストレスがかかります。職場で信用されていなければ、カタチにすることが難しい案件はたくさんあります。
現場で本当に必要な企画力が、この程度の仕事のやり方で身につくとは思いませんが、せめて、担当業務で、この程度が出来てから、企画力に悩んで欲しい、と。
やはり、仕事の振り方が能力開発には重要で、これを避けていては、自己満足だけの能力開発になりがちだと思っています。私も自己満足だけの能力開発にならないよう、気をつけようと思います。
時間を色付けする
わが組織では毎朝朝礼をやっています。「やった方がいいのはわかっているけれど、何もない日はどうすればよいかわからない」という質問をたまにいただきます。いくつかのアイデアの中で、一日の使い方をあれこれ皆でコメントしあうことは、効果が高いと実感しています。
例えば、会議の時間が休み時間に重なっていた場合、学生や先生からのオーダーを誰が代わりに受けるのか…まさか「担当者がいないから適当な時間にまた来てね、はやらないよね」と。「午後は伝票確認」とコメントした場合、それは今日の午後に、一人で半日かけてすることなのか?誰がと一緒にやった方がミスは減るのではないか?
一人一人の仕事のやり方を改善することが主目的ですが、それをダイレクトにやると嫌な感情を抱くスタッフもいますから、皆でフォローしあうため、という、もう一つの目的を全面に出して、1日のスケジュールをコメントしあうと、嫌な思いもせず、自然に協力し合い、やがて、仕事のやり方が改善する。
時間はかかりますが、仕事を主体的に・楽しめるスタッフの育成には、(私含め)仕事のやり方そのものの改善は不可欠ですので、地道にやろうと思います。